2-3.2-3. テンプレートを保存

2018年3月10日土曜日

(少女前線/Girl's frontline)公式設定資料集付属資料その2

次は第1世代戦術人形の話。(画像は本編10章以降に登場する最新の軍用戦術人形)
設定関連記事の目録はこっち
その1はこちら

第1世代戦術人形の時代


 準備作業の開始からIOPの公式な設立までは3年かかり、IOPの設立は2046年となった。そしてその頃には第3次世界大戦がすでに始まっていた。

 IOPが完全に機能するまでかなりの時間がかかると考えられ、また莫大な資金や軍からの支援もあった。ウェイトキンは新型人形の開発に注力せず、代わりにパートナーを慎重に探しすことにした。ウェイトキンの立場から見れば人形の将来性は大きかった。しかしそれは直面している技術的問題も同じく大きくなることを意味していた。またウェイトキンの戦略では、軍需のみならず民間市場や警備業も巨大な潜在的市場であった。世界的な拡大を目指し、IOPは米国、ウクライナ、中国にそれぞれ子会社を設立した。この中でもウクライナ法人は、後に有名になる鐵血製造公司としばしば業務提携していた。意外なことに、鐵血製造公司はCSD-03H型よりもALR-52P型の方に興味を持った。東欧では伝統的に構造的な整合性と耐久性が重視されていたためだった。ウェイトキンの考えていた計画とは異なるものの、鐵血製造公司からの多額の資金提供によって、ウェイトキンが拒否する理由は殆どなかった。鐵血製造公司は、IOPが人形用の自動化AIシステムの研究を行う際、技術者を派遣した。ウェイトキンにとってこれはこの上ない協力だった。しかしこの理想的な状況はそう長くは続かなかった。第3次世界大戦が2045年に開戦すると、軍の戦術人形への需要は急増した。ウェイトキンはIOPの基盤を迅速に確立させ、軍からの要請に答えなければならなかった。

 生産要求の多さから、IOPは鐵血製造公司へ幾つかの業務を委託し、戦術人形の改良のために必要な幾つかの技術情報を鐵血製造公司に渡した。当時戦術人形用のAIは依然として性能不足で、主戦力として運用することはできなかった。代わりに予備役部隊区域の憲兵隊が据え付けの警備用に用いることが大半だった。CSDシリーズの戦術人形はその複雑さから頻繁な故障に苦しめられ、代わりに鐵血製造公司がALR-52Pを元に開発した「イエーガー」シリーズは最前線で絶賛された。一方CSD型戦術人形は前線の将兵から戦闘能力の低さを揶揄され、「生きた的」というあだ名まで付けられた。このため軍はIOPの製品に価値を見いだせなくなり、人形の調達先を鐵血製造公司に移し始めた。ウェイトキンはこの事に激怒し、以後IOPと鐵血製造公司の関係は急速に悪化していく。信頼性の問題が発注の減少を招いたにも関わらず、ウェイトキンは俊敏性に焦点を当てた設計が未来への道だと信じていた。そして彼は世界大戦の間に戦術人形の構造とAIを強化しようと試みたが、成果がほぼなかったために彼と彼のチームは落胆した。

 状況が変わったのは2049年の事だ。ミハーチの門下生が技術者集団90wishの存在をインターネット上で見つけた。 彼らは戦術人形技術に関する幾つかの論文を公開しており、この論文を読んだミハーチは可能性を感じ、論文をウェイトキンに転送した。ウェイトキンはこの論文を読み、90wishの技術力と開発思想が唯一無二だとすぐに認識した。そして様々な方法を通じて90wishのメンバーと連絡を試みた。しかし90wishは論文を公表して以後、その存在は消え去ってしまったかのようだった。彼らに関する情報はどこにも残されていなかった。ロシア連邦内務省ネットワークセキュリティ庁によれば論文の公開は90wish内部で合意されたものではなく、公開後グループは内部分裂してメンバー達はお互いを憎んでいるようだった。内務省内の友人を通じて、ウェイトキンは命を脅かされていた90wishの元メンバーの情報を入手して、大金をかけて彼らを守るための民間軍事請負業者を大量に雇った。護衛の半分が失われた後、元90wishメンバーのペルシカリコリスは、IOPの所有するセーフハウスへ無事移送された。短い交渉の末、ペルシカとリコリスはウェイトキンとともに働くことを了承した。そして彼らの痕跡を隠すため、ウェイトキンは偽の個人情報と「ハーミット」という表向きはIOPが金融取引を行うための雑多な業務を行う小さな会社を用意した。ハーミットはIOPに多くの先進的な技術を提供した。これらの技術の投入は、IOPが2051年に発表したCSD[注4]シリーズと言う形で結実した。この高性能な新型戦術人形によってIOPは、戦術人形の発注を鐵血製造公司から奪い返すことに成功した。

 CSD型とその派生型はその後、ノルドコートでの地上戦で数多くの戦闘に参加した。戦術人形のAIはいぜん性能不足だった。しかし人手が足りない地域においては、人間の兵士が第1世代戦術人形数機を用いて監視と小規模な反撃を行うこともあった。戦術人形は攻撃時の兵士や死傷者の代わりになり、人命の損失を減らすのに役立った。実戦で得られた知見から、IOPはCSDシリーズの俊敏性を犠牲にする代わりに、部品点数の削減と構造の安定性を改善させ、防弾層とチタン合金骨格の密度を大幅に高める事にした。この改良型はACD-50/51/R/T軍用型として分類された。ACD-50型は被弾を避けるために頭部を小型化し、カメラは砲弾の破片による損傷を避けるために10mmの鋼板で防護されていた。視覚制御と誘導モジュールはより柔軟な腹部に、信号装置と処理装置は鉄板で守られた胸部に移されて導波管で接続された。追加の有線制御端子が頸部と尾てい骨部に増設され、AIシステムが停止或いは破壊された場合にも、兵士が有線接続して戦術人形を動かし続けることが出来た。ACD-50の捜索戦闘半径は220mで、1度の充電で28時間の活動と55時間の待機が可能だった。また調達コストも保守コストも低下している。2051年から生産されたACD-51型は、主に重火器を扱えるようにするための低重心化と、携行弾数増加のための積載能力の強化が行われている。捜索戦闘半径は200m。1度の充電で21時間の活動と48時間の待機が可能だ。 ACD-50よりもこれらの性能は低下したが、 総合的な性能向上を考慮すれば、軍にとってはこの事は些細な問題だった。戦闘以外にも、兵士が時々戦術人形を重い荷物を動かすために用いることがあった。不具合の少なさや丈夫な構造から評価は良かった。R型及びT型は主に偵察や特殊任務で運用され生産量は遥かに少なく、広く使われていない。ACDシリーズの戦術人形は11730機生産された。その内2300機は鐵血製造公司によって生産されている。この戦術人形は第3次世界大戦で最も広く生産され運用された戦術人形として歴史に残っている。


注4: 主に生産されたのはCSD-08A、CSD-08Bとその派生型であるIADシリーズ。特に IADシリーズは後に第2世代戦術人形の試作機の内部コアモジュールに流用された。


その3へ続く

0 件のコメント:

コメントを投稿